父の遠距離介護日誌T
母亡き後、一人暮らしの高齢の父を遠距離介護で支えた様子を五行歌を交えながら綴ります。
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母の遠距離介護五行歌…詩のみ
父の遠距離介護五行歌…詩のみ
介護で
消耗仕切った父に
しばしの平安のときを
与えてくれる
亡き母に感謝する
「おい!俺詩を作るんだよ!」
耳元で大声でどなる
親父
にやり
まだ分かってくれるのが嬉しい
父への世話の模様を順を追って記録してみました。
母の葬式が終わり、地域の人が念仏に来てくれましたが、そのとき父が老人会で手品を披露した話が出てびっくりしまた。
なぜなら父はずっと人前に出ることがうまくできず、それでずっと母に面倒を掛けて来ていたからです。
父は初七日が終わった席で、皆におだてられてその手品を見せてくれました。まだまだの演技ですが、素人としては十分満足のいく演技です。毎日母の面倒をみていたのにどうやってマスターしたのか信じられません。
これなら父も悲しみを乗り越えて、一人でやっていけるのではないか安心しました。本当によくしたものです。母に守られているということでしょうか?
対人関係で
苦しんだ父が
人前で演技をする
「マジック」に
ただ驚く
父が新たな手品のネタを仕入れたいと言うので、インターネットであちこち調べ、テンヨーという会社を見つけました。早速10個ほど購入し送りました。
父の手品を手伝いながら、私も少しやってみることにしました。これはひょっとすると、父と同じ世渡り下手の私への、父からのプレゼントということになるかも知れません。
九十歳の父
「恥ずかしいで」と
七十歳と
いつわって
手品教室へ通う
田舎にあった石油ストーブが消火できないようになり、慌てて一台買い換えました。今までも何台も買い換えており、「金がかかるなあ」と言うのが私の実感です。
石油ファンヒーターは停電時使用できません。そこで一台だけ従来型の石油ストーブを残していたものが故障しました。年寄りのいる家では従来の石油ストーブは危険なようです。
台所に自動点滅の投光器を付けました。安全のためもありますが、赤外線センサーで自動点灯してくれると、多少なりとも一人暮らしの寂しさを軽減してくれます。※この後防犯灯も含めて5,6台取り付けました。
。※
実家は車の交通の多い国道際なので、空気清浄機を設置しておりましたが、フィルターの交換代が馬鹿にならないため、交換時期の長いものに買い換えました。何かあったとき説明し易いよう、東京で使っているものと同じ型のものとしました。
臭いの分解もできるため、線香の臭いを消すにも良いようです。本人は気付いておりませんが、一生懸命線香を焚くので、部屋中線香の臭いが染みついてしまっています。
突然父が手品を習うのにビデオを欲しいと言うので、ビデオを一台購入しました。普通のビデオだと操作が難しくなるので、テレビと一体型のものを購入しました。父は喜んで手品のビデオを見ているので安心しました。
私もいよいよ手品をやる気になって、私用のビデオテープ他購入しました。初盆のときにデビューするつもりです。
九十歳の
手習い
まさに
幾つからでも
遅くはない
今回田舎へ帰ると、父の口臭がひどいので、歯槽膿漏かなと思い、歯茎をマッサージするように言いました。
本人も気にしてマッサージをしておりましたが、そのうち「俺は毎日ニンニクを食べている」と言うことで納得、安心しました。ひょっとして父も最後の時が迫っているのではないかと本当に心配しました。
帰郷すると、馬鹿に父の機嫌が悪いなあと思ったら、一週間ほど前、夜中に背中に激痛があって倒れたようです。救急車を呼ぼうとしたが、這っても電話機のところまで行けなかったようです。
幸いにも、腎臓結石の石が移動した痛みだったようで、大事には至らなかったですが、一人暮らしの老人の悲哀を味わったのか、私に突っかかってきました。誰かに当たらずにはおれない気持ちも痛いほど理解できます。
亡き母に、父を救うよう祈った成果が出たと思いますが、父が入院すればどうしようもなくなるので本当に神に感謝です。・・・いずれそうなる日が来るのを恐れていますが。
父の長生きで
私の
想定寿命も
どんどん
伸びる
今度のことがあったので、民生委員を通じて緊急連絡装置を自宅に付けてくれるよう申し込みました。しかし町にお金がないので、いつになるか分からないとのことです。90歳を過ぎた高齢者が一人暮らしをしていても、我が故郷の町には何の支援もありません。寂しい限りです。
九十一歳の父
「どこで倒れても
連絡できるよう」と
携帯を
ねだる
思いがけず半年後に装置が届きました。そのシステムは毎月一回老人宅に声で呼びかけ、安否を確認するようになっております。しかし、耳の遠い父には呼び出し音が聞こえません。そのため、管理センターでは安否確認を東京の私に行うと言う漫画のようなことになりました。
高齢者には音声だけでなく、画面全体が発光するようなお知らせも必要だと思います。緊急時の役に立たないサービスを漫然と行っているのは全く税金の無駄遣いです。
今年の夏の暑さで元気だった父もすっかり体調を崩したようです。実家の辺りは39度を超えることも何度かありました。初盆の準備で気を使ったことも影響しているかもしれません。お盆の間もほとんど寝ていました。
体力のある間に奈良や京都などにも連れていってあげたいと思いますが、会社はなかなか休めません。結局、サラリーマン生活のほとんどで、有給未消化で過ごしてしまいました。必要なときには休める社であって欲しいものです。
それにしても会社は成果主義が行きすぎて、ノルマ主義が蔓延し、大変なことになっています。私も消化工事数億円の他に受注数億円のノルマを課せられ、仕事でも四苦八苦しています。帰省しない休日は1日中見積書を作っています。
しんしんとする夜
うだる暑さの夜
九十才
ひとり暮らしの
父の心中を想う
父の手品を見ているうちに私もやってみたくなり、一つだけ覚えました。チャイナリングという金属製の輪を繋いだり、ほどいたりするものです。
初盆の会食の席で私も初めて人前でやってみました。無芸だった私にも隠し芸ができるようになりました。父も励みになるし、一石二鳥です。
慌ただしい一年が瞬く間に過ぎて、とうとう母の一周忌となりました。我が家は、父母への支援・子供の学費などで蓄えが少ないので、お寺へのお布施も結構負担に感じます。
高齢社会の現代では、お寺もお布施を集めるだけでなく、どうやって地域に貢献するのか考えて貰いたいものです。
お盆の頃の父の様子では、一周忌まで持たないのではないかと思っておりましたが、元気を回復してくれました。この間、肺に影があるなどの診断もありましたが、私の得意の念力?で追い払いました。
実家に着いた時
お茶を出してくれるか否かで
判断する
父の
コンディション
レースのカーテンが排気ガスで真っ黒になっていたので正月の間に十数枚洗濯をしました。東京では全くやれない家事がどんどん出来るのが自分でも不思議です。父に少しでもさっぱりした環境の中で元気に過ごしてもらいたいと思います。
窓からの視界が得られるよう窓ガラスの清掃をしました。ガラスを挟んで両側から拭ける器具を購入しました。なかなか便利なものです。外に出なくなった母が窓からの景色を見易いよう、ときどき拭いてあげたのを思い出しました。
一人暮らしの父の気が少しでも紛れるよう、帰るたびに草花を買うようにしております。帰るたびに相当の出費になるので、高価なものはなかなか買えませんでしたが、牡丹の苗を買いました。
自分のパソコン等の購入では無駄遣いを繰り返しておりますが、こういったものはなかなか買えないものです。牡丹は毎年豪華な花を見せてくれるので、本当は安い買い物なのですが。
父が心配するので、今日は仕方なく物置小屋の屋根のペンキを塗りました。父は90歳過ぎですが、一度言い出したら、私がやらなければ自分でやりかねないので油断ができません。
畳4畳分程の面積を塗装してくたびれたのと、東京に戻る時間になったので残りは次回に持ち越しとしました。少しでも何か建設的なことをすると自分も気持ちが良いものです。父は別の物置の屋根の張り替えも催促しているのでしばらく大変です。
父にもインターネットをやらせてやりたいと、田舎の町でもADSLが使えるようになるのを待っているのですが、なかなか使えるようになりません。ADSLが引ければ常時接続でテレビ電話のようなこともできるのですが…。
農協の有線放送も、耳の遠い年寄りには役に立たないので、早くインターネット対応にしてくれるとありがたいのですが・・・。田舎ほどADSLの普及が望まれます。
今日は父の91歳の誕生日です。すっかり忘れていましたが、電話してみたら自分で「しるこ」を作って食べたようです。高齢者が自分独りで誕生日を祝うなど、いじましく悪いことをしたと反省しました。近くにいてやれなくて本当に申し訳ない気持ちです。
オンラインショップから何か贈ろうと思いましたが、一人暮らしなので適当な贈り物もありませんでした。取り敢えずFAXで再度お祝いを伝えました。長生きしてくれるだけで本当にありがたいと思います。
本当は
高齢者の
「誕生日」こそ
祝う意味が
あるのかも知れない
父は、母の介護と一人暮らしで、自然と料理ができるようになりました(軍隊で覚えたかも知れないが)。それに対してほとんど全くできない私。田舎へ帰る度私が買い出しをし、父が料理をすることに役割が決まっております。
五十歳の私が
買い出しをし
九十歳の父が
料理を作る
あやしい親子
冷や奴を
湯豆腐にして出す父に
白血球の少なかった
母にした
必死の気遣いを想う
近くのお寺から総会の後、父が手品を披露することを依頼されました。老人が一人で段取りするのは無理なのと、折角の晴れ舞台が成功させるよう振り替え休日を取って手伝いました。
大勢の前なので少し慌ててしまって出来は良くなかったですが、盛況の内にに終わってほっとしました。良い生き甲斐を見つけてくれて本当に良かったと実感しました。
何年か前から気になっていましたが、今年の父のストーブの温度設定は異常な高さになっています。設定が30度近くになっており、私には暑くて仕方がない温度です。設定を下げると本人は寒いと言って怒るので、体力が弱って来たのだろうと思います。
高齢者は食べたものをエネルギーに変える能力が落ちるのだろうと思います。灯油代ももったいないと思いますが、好きなようにさせるしかありません。
庭が寂しくないようあれこれ花を植えてきましたが、今年は年末にかけて仕事が忙しく帰省できなかったせいで、冬の花を植えられませんでした。遅ればせながらパンジーを買い植えることにしました。
自分で植えようかと思いましたが、父に植えさせた方が愛着が湧くかと思い直し、そのままにして東京に戻りました。本人にその気があれば、できるだけ自分でやるのが良いと思います。
「まゆちゃんのこと祈っているよ」
こちらは忘れていても
いつも
孫を思っていてくれる
九十二歳
知らぬ間に水道の漏水があり、一ヶ月の使用料が高額の水道料を請求されました。ちょっと帰省の間隔を開けるとどうしても問題が起きます。昨日,今日は漏水箇所を探すのにコンクリートの土間をあちこち掘削し、大変な思いをしました。
体中が痛いですが、父を気遣いながら、まだ一緒に作業をすることがができること、本当に有り難く思います。漏水箇所は以前私が延長した塩ビ管で、塩ビ管の差し込みが不十分だったようです。
20m2程ある作業場のトタン屋根が真っ赤に錆びたままになっていたのですが、父の「何とかならんか」の一言で観念して塗り替えを行いました。
ほっておくと、金もないのに業者に頼むので仕方ありません。トタンはかなり錆びており、踏ん張ることも出来ず、塗り終えた時には疲労困憊の状態でした。実家は父の亡き後は廃屋になるしかないので、金をかけるべきか、いつも迷います。
帰京するまえに父が「ありがとう、ありがとう」と言っておりましたので、"年寄りなりに家のことを気にしているのだな"と実感しました。目に見えることをしてあげるのは老人の励ましになると思います。
最近五行歌の会誌に、父母の介護についての詩を投稿しております。時々その会誌を田舎に持ち帰り、父にも見せております。私の正直な気持ちを詩にしているので、普通であれば恥ずかしくて話せないことや、父にすれば不満だった部分を読みとって貰えるのではないかと思います。
立派な八十歳の方の
「鍋を/洗いながら/ひとり暮らしの/
老人だと/思う」の詩を見て
九十歳・一人暮らし・何もない
父の胸中を想う
帰郷してみると、父が暑い部屋にだるそうにしていて、「気持ちが悪い」とのことです。まだ、エアコンを使ってないようなので、スイッチを入れたら元気になりました。
もう九十二才になり、誰かがきっかけを作ってやらないと、エアコンを使うことを考えないようです。エアコンは冷えすぎないように27℃に設定しています。
一人暮らしの父の
生活力を
考えてみる
「小学一二年生?」
傲然とする
今度帰郷もまた「暑くて気持ち悪い」と言いながら、暑い部屋におりました。今回も、エアコンを入れたら元気になってくれました。エアコンの温度設定を見たら20℃になっていました。自分でスイッチを入れたら大変なことになっていたと思います。
何とか自立していますが、常に誰かが常にチェックしていないといけないのを痛感します。それにしてもエアコンの液晶表示、視力が弱い年寄りが読みとれるものではありません。もっと見易く、操作の簡単なものはないのでしょうか?
田舎とは言っても、現在の田舎は実に物騒な感じがします。ひとり暮らしの老人がいつ襲われてもおかしくない気がします。最近、はサッシのクレセント(錠)部のガラスに穴を開け、ドライバーでクレセントを解放して戸を開ける泥棒が増えているようです。
今日はその部分にプラスチックの板を貼って、穴を開けにくくしました。見栄えは悪く、気休めそのものですが、却って対策をとっているのが分かります。
二三年前、敬老の日の集まりに連れて行ってくれる人がいないと言うことで、父の癇癪が爆発したことがありました。それ以後、万難を排して帰郷するようにしております。私が帰ったからと言って、近所の食堂で食事をする程度ですが、それでも嬉しいようです。
祝ってくれる人の
いない
敬老の日
父の癇癪が
爆発する
「助六が出ただけだった」と
年寄りに笑われる
放漫経営の
始末に追われる町の
敬老の日
ここのところ父の難聴はどんどん進み、テレビのボリュームも周りの許容限度を超える状態になって来ました。ほとんどTVのボリューム限度一杯のレベルで、回りの人はうるさくて話も出来ません。
何とかならないかと思っておりましたら、「骨伝導補聴器」と言う、鼓膜を介さないで、耳の近くの骨の振動で音を聞き取る補聴器を見つけましたので、早速購入しました。
効果については、半信半疑でしたが、そこそこ聞こえるようです。但し、コードなどが邪魔なので、常時使う気はないようです。
次に帰郷したとき、使っているのかと思ったら大音響でTVを見ているのでがっかりしました。
田舎と言えども物騒なのと、インターホンの音に気付かないことが多いので、テレビ付きインターホンを設置しました。インターホンを押せばテレビが点灯するため、気配を感じたとき、少しは気付き易くなると思います。
ほんの少しでも、操作が必要なものは、なるべく早い時期に購入・設置しないと、老人が覚えるのは大変なようです。もう一台買って小鳥の来るところに置くと、耳が悪くても観察に使えるかな?と思っています。
今日は地元のお寺の檀家の集まりがあり、その席で父が手品を披露しました。やっとの思いで会社を休み、演技?指導・小道具係・バックミュージック係をしました。
ラジカセでオリーブの首飾りを流し盛り上げました。残り少ない父との時間を共有できる喜びも大きいですが、田舎の集まりは何かと気を使って疲れるのも事実です。
父の手品の
晴れ舞台
「オリーブの首飾り」の
ラジカセで
援護射撃
自分の時間を
気にせず付き合う
地域に根付いた人達
つくづく
太刀打ちできないと思う
今日の田舎での家事:便所掃除、台所床拭き、換気扇掃除、カーテンの洗濯、買い出し、ストーブ出し、灯油購入他。東京の我が家ではなかなか出来ないことが、田舎では自分でも驚くほど甲斐甲斐しく出来ることが不思議です。
カーテンの洗濯は十数枚適当に洗いました。真っ黒な洗い水が出ました。家の前の国道を走るディーゼル車の排気ガスのせいです。恐ろしいものです。カーテンが綺麗になって部屋が少し明るくなりました。
仕事の忙しさにかまけ、しばらく振りで田舎に帰ると、父が「目が回る」とフラフラと歩いていました。いよいよ恐れていたものがやってきたようです。
もう介護保険の支援無しでは無理だろうと思い、知り合いの民生委員二人に相談したところ、「この町では、独り暮らしは自立していると言うことで、どんなに歳を取っていても介護保険の適用は無理」と即座に言われました。
この地域では農協と町役場意外に会社らしいものがないため、役場もお上意識そのものです。ひとり暮らしで本当に支援が必要な人に支援がないとはどう言うことでしょう。怒りを通り越して悲しい気持ちになります。
介護保険の適用を受けないことには訪問介護も受けることができないので、駄目元で申請をしてみました。取り敢えず、父のみで診断を受け、役場職員がその結果を私に電話で報告して貰うことにしました。その時の電話のやりとりです。
役場職員:便所には独りで行けるとのことですね。
私 :行けるけど、便座の上から小便をしたりして良く汚れています。
役場職員:でも独りで行けますよね。
私 :独りで行けるけどちゃんとしている訳ではないんです。
役場職員:でも独りで行けますね。
役場職員:食事は自分で作るそうですね。
私 :何とかそうしてます。でも、やかんの空焚きなどしょっちゅうしています。
役場職員:でも自分でやっていますね。
私 :自分でやってはいてもちゃんとやれる訳ではないんです。
役場職員:でも自分でやっていますね。
こんなやりとりを繰り返した後、私は思わず大きな声を出しました。「あんたは何を言いたいんだ!」「杓子定規なことしか言えない人に介護の仕事をして貰いたくないんだ!」、「あんたは九十過ぎの人間が一人で生きていくことがどんなことなのか分かっているのか!」などと、今までの不信感もあって思わず強い口調で非難しました。
しかしこの若い女性職員は、私の言うことに全く動じる気配はありませんでした。これでまた、田舎での私の評判を落とすこと間違いありませんが…。
結果はどうなるか分かりませんが、支援が必要なのが明白な高齢の独り暮らしの老人に対し、”独りで生活は全て自立”と処理するようです。「同居だったら対象になりますけどね」と逆さまの考えを当然とする神経は本当に信じがたいものです。独居老人はそのまま死ね!と言っているのと同じです。役所の方針でしょうが、こんな倒錯した考えが日本を駄目にしていると感じます。
「かつて老人は
神に最も近い存在として
尊敬されていた」と知る
そっと
父の横顔を観る
今度帰郷して驚きましたが、地域に一店しかなかった小さなスーパーが閉店してしまいました。これからは3,4キロ離れた町まで買い物に行くしかありません。
日々の生活に直結しているスーパーがなくなるのは、高齢者世帯では大変な問題です。健康な人でも重くて手が痛くなる野菜を、老人が遠方から運んで来られるものではありません。
色々思案したあげく、インターネットで探した埼玉の野菜を宅配で届けて貰うことにしました。また、野菜の種や苗を買い、自宅で野菜を作るよう段取りをしました。…父は最近野菜作りが面倒になっていたようですが、刺激となるかも知れません。
私の剣幕が効いたのか、父が目眩がすると、フラフラ歩いていたのが効いたのか、父は要介護1に判定されました。取り敢えずコミュニケーション確保のため、デイサービスから始めたいと思っておりますが、バックアップの道が開けたので一安心です。
この誰かに支援されているという安心感が、老人には必要なのではないでしょうか。本来、ひとり暮らしの高齢者は、自動的に地域のケア・監視の中に組み込まれるべきではないのでしょうか。一々申請するのではなく、行政の側から提案・手続きされれば有難味が違います。
介護認定を受けて、週一回デイサービスを受けることにしました。デイサービスなど馬鹿にして行かないかと思っていた父が、比較的喜んで出かけるようで、驚くとともにやはり孤独なんだろうなと申し訳ない気持ちになります。
※その後、父は本当は行きたくないが、将来そこの老人施設へ入るときのための、実績造りに嫌々行っていることが分かりました。結局半年ほどで、「一日拘束されるのは嫌だ!」と、行かなくなりました。
老人の話に
何でも
ソーカ、ソーカで応答する
ヘルパー達
老化しているのはどっちだ?
本当に父の介護が必要になったとき自分も料理が出来ないと困ると思い、料理教室に通うことにしました。男性だけの料理教室に月一回通うことにしました。
今まで毎日食べさせて貰うだけでしたが、料理の手間と奥の深さに驚いております。世の女性の偉大さを見直す機会にもなりました。
教室での料理は基本通りなので、おいそれと自分で作る気にはならないですが、教室で魚の捌き方を習ったので、たまたま頂いた魚を二度ほど捌く機会がありました。今までなら手を出すことはなかったでが、今回は娘と一緒に捌くことが出来ました。自分の領域が少し広がった満足感があります。
帰省すると、何かのはずみで父が腰を痛めていました。腰が痛くてベッドからうまく起き上がれないようでした。応急的にベッドの脚下に角材を挟んで持ち上げたら、立ち上がれるようになりました。
今回帰省したら、まだベッドでは具合が悪いようで、夜も安楽椅子に寝ていたようです。それで、低くなった足がむくんでいました。父は自分のことはあまり訴えないのでしばらく気づきませんでした。筋力が衰えるかも知れないですが電動ベッドを借りることにしました。
最近の田舎の夏の暑さも大変なもので、造りの悪い私の実家などは耐え難い暑さとなります。父は冷房のある部屋の中に一日中いるようになり、体力・気力の低下が著しいようです。
食事もいくらも摂れなくなっているようです。無理もないですが、いよいよ恐れていた父の限界が近づいて来たようです。
老父は
参っていないかと
時々刻々の
田舎の気温を
アメダスでチェックする
「そろそろ施設に入ることも考えてみるかい?」と父に聞いてみても、まだそのような気はないようです。何が老人の幸せなのか、心配・悩みは深まるばかりです。
今年の夏は父にとって本当に命を縮めかねない夏でした。このダメージは、もう取り返すことができないのでないかと思います。対策として天井裏にグラスウールの小さな粒を吹き込む工事を行いました。夏の暑さ、冬の寒さを少しでも和らげてくれればと思います。窓が連続してあるので大した効果は期待できないのですが…。
※グラスウールを吹き込んだ効果は絶大で、寒さ暑さ共に大きく緩和することが出来ました。これで老人の寿命を、一二年は延ばす位の効果があるのではないでしょうか?
本来自宅の改修にもっと投資すべきですが、父の代で終わりになることが見えている建物にお金を掛けることは実際問題難しいことです。またこの辺りは東海地震の予想震源地域にあり、倒壊間違いない古い建物ですから尚更です。
多少なりとも耐震強度を上げるにはどうしたらよいか日々考えておりますが、父の納得する形で補強するのは困難なです(見栄え、使い勝手を犠牲にしないと補強できない。)。そもそも大地震に耐えるためには、小手先の補強では効果はありません。
秋になっても父の体調は元に戻らないようです。近所のスーパーが閉店してしまって、買い物に出かける場所もないこともあるのでしょうか、家の敷地の外へはほとんど出なくなりました。
行動範囲が狭くなるのはボケの前段階かも知れません。とにかくお美味しいご飯を食べて体力を付けて貰うしかないので、ご飯を炊くための電気釜を買い換えました。
今までデイサービスと訪問看護を週一回づつ受けておりましたが、訪問看護を週二回に増やしました。看護婦さんと一緒に体操をして、少し筋力をつけて貰おうと思いましたが、現在のところ「自分でやっている」ということです。
※看護婦さんは主に足を洗ってくれて、後は雑談をしているようです。若いのになかなか気が利く親切な看護婦さんのようで父もすっかり信頼し、来てくれるのを楽しみにしているようです。生きる張りが出来たようで、少し体力が戻ったようです。私も時々父の足を洗います。
「ヘルパーさんの
励みになるから」と
伝言を残すよう
促す
高齢の父
足下が覚束なくなって、外出しなくなったので、少しでも出歩けるよう、手押し車を購入しました。女性風では父が嫌って使わないだろうと、男性風のものを購入しました。
珍しく本人も「使ってみる」と、塩で清めたりしているので、「これは使うな!」と安心しました。
※今度帰省すると父が不在で、手押し車もないため、「ひょっとして、手押し車で出かけているかな?」と思いましたが、念のため物置を探してみると、”案の定”しまってありました。帰って来た父に問うと、「こんなもんに頼ると歩けなくなる!」とのこと。また無駄になったなあ。まあ良いか。
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