私の経験からすると痴呆の前兆を敏感に感じ取り、少しでも痴呆の進行を抑えていくことは老人にとっても、家族にとっても非常に重要なことと思います。
私の母の場合、入退院を繰り返していたのと、強い薬を飲んでいたので、ぼんやりしていても見逃していました。以下に私たちがどのように対応したか述べてみます。
痴呆の親を持つ人が、自分の親のことを「ボケてどうしようもない」と悪く言うケースが多々あります。しかし痴呆の専門家によれば、痴呆老人を作り出す原因は家族にもあるようです。
痴呆老人を病院に連れてきた家族を見れば、痴呆の理由が即座に理解できるそうです。家族全体の愛情の有無が問われるようです(本当は親の人格が子供に影響を与えている)。私も心を入れ替えて世話に当たりました。
先ず痴呆の本・冊子を読んでみる(生き方のツケがボケに出る:金子満雄)。これができるかどうかが家族が試される愛情の一つかと思います。虐待に近いことをしている人は、本を薦めても絶対に読みません。
本人と家族に感性が乏しいと痴呆になるそうです。感性の乏しい親からは、感性の乏しい子供達や孫が育ち、それらと共に暮らす親は早期に痴呆を発症し、また疎外されるため痴呆がひどくなるようです。
これを知って以後、母の得意だった大正琴を引っ張り出し、おだてて弾かせるようにしました。母も調子に乗ってヘルパーさんに教えたりしていました。
痴呆と言うと何も分からなくなった人を想像しますが、現実には症状が分からない程度から徐々に進行します。小さな兆候でも「これは痴呆の前兆ではないか」と敏感にとらえ、まず自分が学習する必要があります。
痴呆の本人が適当に話しを合わせるので、介護者に痴呆の知識がないと気づきません。私の姉妹達もある程度症状が進むまで気付きませんでした。
すべてがそうかどうかは分かりませんが、母の例で言えば無気力状態になり、家の中から庭へ出るのを面倒がるのが最初でした。また襖一枚隔てた隣の部屋ですら行かなくなりました。襖の向こうには別世界があると感じているようでした。
たまに一人で庭に出ることがあると、徘徊が始まったのではないかと心配になったぐらいです。入院中は医者や看護婦さんの識別がつかなかったり、一人で生活している父のことを心配しなくなりました。
料理を作る人の場合、料理がワンパターン化したり、味付けが味気ないものになります。献立を考えること自体が面倒になるからでしょう。義母は毎日同じ料理で、しかも油でベタベタするものばかり作るようになり閉口しました。
あれこれ理由を付けて入浴を先延ばしします。入浴の快感より、入る動作が面倒になるようです。「明日は入るから」を繰り返します。
例え痴呆になっても大半の記憶、判断力は正常なので、正常な部分には健康な人に接するのと同じようにアプローチするのが良いようです。お金の勘定などは出来なくなっても、ある程度の相談には、きちんとした答えが返って来ます。
痴呆になった人は何も分からなくて悩みがないようなことをよく言いますが、本当は自分の存在が曖昧になり、大変不安であることを理解する必要があります。
私が想像するに、通い慣れた道も深夜に車で走ると、どこを走っているか分からなくなり、恐ろしい気持ちになることがありますが、痴呆もそんな状態が頻繁に出てくる状態ではないかと思います。
自分の家でさえ、そこが本当の自分の家か分からなくなったり、不安に苛まれるようです。ボケれば苦労が無いどころか、これ以上の苦しみはないのではないかと思います。
野菜を切るなどのことも一つでも二つでも一緒に切るようにします。但し、集中力がないので長続きはしません。調理の仕方などは相談すれば答えができるので、会話を楽しみながらやります。子供に対すると同様、腹を立てたり邪魔にしては駄目です。
少しでも刺激を与えるよう毎日電話をしています。電話では今日の天気、やったこと、来訪者など、思い出す努力が必要なものを軽く聞くことにしています。
但し、「今日は何日か分かる?」などと聞くのは、自信を失うばかりで逆効果です(痴呆の勉強をしない人はこのパターンになります)。介護施設の面接で誕生日などを聞かれるのも、老人にとっては屈辱的なことです。本人は当たり前のことが分からなくなって自信をなくしています。
母は最近、他人からの電話への対応が難しくなってきました。”誰から電話が掛かっているのか”、”何を言われるのか””と、本人が緊張して電話口にいるのが分かるようになって来ました。また、電話を切るや否や内容を忘れて思い出せないようで、それも嫌なようです。
娘にも書いてもらって時々送っております。全くの素人でもやってみるとそれらしい絵手紙になります。母は「うまいねえ」などと喜んで見ていますが、その場限りの印象のようです。
症状が進むと、もう誰から手紙が来たのか分からなくなってきました。
子供扱いしないで普通の会話を心がけています。相当痴呆が進んでも、ちょっとした相談などまだ判断力があるのにびっくりします。
母の場合、かろうじて便所などにも行けるので、ヘルパーさんには椅子に座ったままできる体操と遊び中心でやってもらいます。大正琴も弾けるので、おだてて弾かせるようヘルパーさんに頼んでいます。カルタ、ジグソーパズルもやっています。
・・・少し前まで、父や私がカルタを読んでいましたが、今度帰省すると、父が工夫して、母に読ませていました。
少しでも刺激を与えるよう庭に花を切らさないようにしています。母のよく知っている花を植えるようにしています。四季の花が咲くことは、母の世話をする父や私にも大いに慰めになります。
日にち、曜日の認識がないため、日付・曜日も表示する柱時計に替えました。残念ながら手遅れで、そこに表示されていること自体を忘れて気が付かないようです。
もっとも、日付・曜日の感覚は、生活感のなくなった人には元々期待しても無理だろうと思います。現役世代でも、盆暮れの休暇のときは、日付・曜日の感覚を直ぐに失います。
古い記憶はよく覚えているので、昔の話をすると生き生きと話します。相当痴呆が進んでも、昔から知っている景色を見せると生き生きと過去の情景が蘇るようです。
因みに三石巌氏によると人は物事を記憶するとき、0101001等と二進法で情報と識別番号を記憶しますが、記憶が膨大になると桁数も膨大になり、瞬時に情報と目印を記憶することも、呼び出すことも難しくなると推定しています。古い記憶は桁数が短いので、記憶の目印を見つけ易いと推論しています。
妄想がだんだんひどくなりますが、本人がそう認識しているのは事実なので、完全に否定しないで、さりげなく別の話題に移します。・・・但し、すぐに前の話題にもどりますが・・・。
ここまで必要ないかと思っておりましたが、「便所どこだったかねえ?」と言いますから、貼り紙で分かるようにしました。老人病院なども形式的表示でなく、順を追って便所まで行けるようにしてあれば自分で行けるのにと思います。